芸術を通して
最近は、耳の調子により、なかなか思うように進めない音楽
自分なりに向き合って頑張る日々、そんな中で去年の冬から決まっていた、Tokyo International Art Fairに作品を出店する日が近づいていた。最初は小さなアトリエを借りて、3ヶ月を絵につぎ込んだ。
最初は漠然としたものから、次第に出したい物と実力の壁にぶつかり苦戦した。しかし、音の無い静かな時の中で、絵と向き合う時間は自分にとって救いの日々となった。
音楽は皆で奏でる物だし、発信していくスイッチが違うので こうであるべき自分がいるが、絵は誰にも邪魔されず、心の別の場所から湧き出るエネルギーが指を通して形になる。
作品は美しく、そして恐ろしくもある絵に仕上がった。輪廻転生、六道を表したからである。 足を止める人はそれを超えた人もしくは修羅に苦しむがどこにいったらいいのかわからない人が見ていた。もしくは興味はあるが、どこから手を付けたらいいのかわからない人に何かヒントを与えたかもしれない。
周りの出展者は、命をかけて絵を描き、世界中から集まってきていただけあり、そういう人たちの作品には熱意が感じられる物もあり、非常に勉強になった。情熱や闇が露骨に行き交うあの場所でそれぞれが自分の作品に惚れ惚れしている。そんな世界だった。
音楽とは違い、瞬間的で衝動的な情熱のエネルギーの転換では無く、長期にかけて生み出して来た物へのインスピレーション、執着と愛情のエネルギーの転換だと思った。現場へ向かう電車の中でなんとも気楽な自分がいたのはよく覚えている。普段ならライブのように、これから勝負するという心境では無く、既に勝負した作品を見せるので後はやる事は無いからだ。しかし、その絵に対するプレゼンの仕方などは本当に勉強になったしこの感覚も久しぶりで新鮮だった。
そして、会場の7割が外人で、久しぶりに素のままでコミュニケーションを取っていた。英語は日本語と違いどういったら相手がこう思うだろうというフィルターをかけなくてもいいから本当にストレートでシンプル。時が経つにつれ、最近自分がどれだけありのままの自分でいないかに気づいた。まるでトンネルを抜けた先に海が見えた時のように、お風呂上がりに空を見ながらタバコを吸うような、ゆっくり心が解放された気分だった。
今思えばその頃の私は押し殺しているものが多かった。全ては忍耐が鍵を握るのを知っているから、でも耐えるべきものと、解放するべきものの区別がつかなくなっていた気がする。だから今回のアートショーに参加した事は私にとって他人の作品を見るよりも絵を売る目的や、誰かに見てもらうよりも、自分らしくいれて、表現出来る事に感謝出来る自分に出会えた日となった。
その後の撮影も自然とともに解放した別の自分になれたし、いいアウトプットとなった。
歌、絵、写真、モデル、執筆、全ての芸術を通して、私は今日も前に進んでいる。
次のライブは6/12 恵比寿aim、さて、スイッチを切り替えて新しい壁乗り越えて行こう。