Name
Gypsy.P


Hopeless Knock

Artsist,singer song writer,traveler
アメリカ、キューバ、ジャマイカ、メキシコ、マレーシア、ベトナム、イ ンド,
西アフリカガンビア、ベルギー、オランダ、フランス、ロンドン、その他の国を放浪

魂の旅を続けるシンガー

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The Gambiaの旅

ガンビアの空港は小さくて、殺伐としていた。

 友人のモリッチオが迎えに来てくれて車で30分くらい走りまずは腹ごしらえ、 少し肌寒いが懐かしい夏の香りがした時差ぼけでかなりぼーっとしていたが、ビールと現地のミュージシャンのブルースの音が心を和ませた。ご飯を食べ、近くのクラブでマッドプロフェッサーと合流 心の大きな人で優しい目をしていた

宿に着き 爆睡 一人で異国のベッドに寝る懐かしさを噛み締めていた 次の日は車で30分くらいの土臭いマーケットに行った。 イメージ通り人が生きる為に生活をしている場所 地べたで食料を売り、現地語で喧嘩のような口調でひたすら話していた。カメラを向けたら嫌がられる始末 でもこれくらい慣れっこだったから さらっと写真をとり続けた

宿は人の家の一室を借りていて、水ポンプが太陽のソーラーで動いていたので途中2日くらい雨と曇りのせいでトイレとシャワーが使えなくなり、バケツに入った水をくみながら頭と体を洗う毎日 トイレは庭で犬や鶏と一緒だった 笑

イベントが始まり、現地の人とかなり踊った ダンスも教えてくれた 時間も忘れ音に体と心を委ね、ひたすら踊った。一人のソウルメイトと会い貝のブレスレットをくれたんだ これは一生の宝物にしたい そう思った 名前も知らない、連絡先も知らない彼だけど 心の中ではいつも側にいる 物理的なものを超えて、人は心の中で本当に繋がれる気がした

隣の村のフェスにも寄ってみた、あいにくまだ準備中だったけど、一人の女の子がついて回ってきてしばらくのあいだ一緒に歩いたんだけどサヨナラする時の彼女の目は一生忘れないだろう ”もう二度と会えない” 本当に悲しい目をしていたけれど この世の中で一番美しい目を自分は見た気がする

ライブの前の日にマッドと打ち合わせ、何曲かトラックをもらいピックアップする事に、その後数時間で1曲を書き上げ、その他は当日出て来た心の声でライブをしようと思った

ライブ当日、空は自分を歓迎するかのように暑い太陽に包まれていた 2回程海で泳いでリラックス。その後ビーチハウスの裏にある貝で出来た小さなトイレで準備していざライブが始まった

その場に立った自分は最高の気分だった 20代のうちにアフリカでライブがしたいと漠然と夢に描いていた

漠然とした夢が現実のものになった瞬間 私の心は解放された 正直に伝えたい事を心のままに歌った        永遠に歌い続けられる程の勢いで思いっきり歌った。日本語で歌ったけど人々は心の声に耳を傾け、その瞬間同じ魂を分かち合った

歌い終わった後、皆があたしのバイブスが伝わったとリスペクトしてくれた ジャマイカやイギリス、イタリアその他各地からミュージシャンが来ていたが皆絶賛していた 鳥肌が立ったと言ってくれたミュージシャンもいた歌い終わったら現地の人たちは次々に声をかけてくれて、u can save the world like Bob Marleyと言ってくれた人もいた300人以上を超える人々とその後話をし、拳で挨拶して一緒に心に手を当てた

夜のイベントではまた歌わないのかとたくさんの人に聞かれて、出番はないけど状況しだいだと説明したけど、こんなにも聞きたいと思ってくれる人がいるなら出ない訳にはいかないと思って、ジャマイカのアーティストがパフォーマンスしている時に飛び入り参加して歌ってしまった 自分の為だけでなく人を思う気持ちが気づいたらステージに自分を立たせていた 現地の人は本当に楽しんでくれて、皆の目から確かなつながりを感じた 歌いながら魂をシェアした     その夜の満月のように私の心は大きく満たされいた

現地の子供達は飴を買ってくれ、お金をくれと毎日言うけれど、最後の日以外は極力買わないようにした。理由は止まらなくなるから。1人がやがて100人になり100人が1000人になる。経験上全ての人を救う事は出来ないと悟った時から、心の中を鬼にしてはっきりと断るようにしていた。でも全ての人は救えないかもしれないけれど大勢の人に歌を歌う事は出来る。自分にしか出来ない方法で少しでも人を幸せにする事、それが今回の目的の一つでもあった。会場は子供でさえチャージがかかる為、中に入れるのはほんの一握りの子供のみ、仲間は高い塀の向こうで音だけを聞いていた。子供くらい入れてやってもいいのにと思う反面、マッドプロフェッサーは本当に頭の切れる人で誰よりも人を思う人。考えがあっての事だろうと信じてここは自然の掟に従う事にした。中に入ってきた数人の子供に「外で見れない子供達や他の仲間とジュースを分けると約束する事」を条件にオレンジジュースを買ってあげた。拳に手を当てて何十回も約束した。ジュースを買った後、他の子供達も嗅ぎ付けて自分に寄って来た時、シェアするかと思いきや子供達は逃げた。私は悲しくなった。生まれた頃から競争社会で生きて来た子供達にはもはやシェアするという感覚さえインプットされていないのだ。期待はしていなかったものの、どこかで伝わる事を信じていた。翌日の最後の朝、皆に飴を買ってくばっていた時の事、恥ずかしそうに、申し訳なさそうに少し笑いながら下を向いて飴をもらおうとした一人の少年がいた。顔までは覚えていなかったがすぐに昨夜の少年だと気づいた。今度は絶対にシェアするように言い聞かせ、「また騙したらあなたの顔を一生覚えているからね、心だけは貧しくなるな」と言って頭をコツンと叩いた。周りの子供達も現地の人も私が怒ったのを見て微笑んでいた。それは彼らにとっては日常的な瞬間であり、日本人の女だろうがどこの国でも皆同じように感じているんだなと誰もが共感した瞬間でもあった。少なくとも彼の中で少しでも後ろめたさがあったのはせめてもの救いだった。まだ少年は綺麗な心を持っていると少しほっとしたのを覚えている。

帰りが近づき、近所のアクセサリーを売っている兄弟に挨拶にいった時、姉さんが突然泣き出して自分も涙が止まらなかった 言葉では言い表せない程の気持ちがこみ上げた ここの人たちは皆温かく自分らしく生きる私を受け入れてくれた 表も裏も無い 本当の自分を受け入れてくれた 感謝と悲しみの気持ちがまざり 涙が止まらなかった      泣きながらさよならをして振り返らなかった どこまでも続く長い道に風が吹き赤い土ほこりが舞う 目に入った土の痛みは悲しみに比べたらどうって事なかった 涙で滲んだ道を必死で歩いた この風景を心に残しておきたくてずっと目を開けたまま 必死で歩いた 後ろから照らされる太陽の光はそんな自分の背中を押すように優しくあたたかかった

帰りの空港では税関の人にガンビアで何をしてたんだと聞かれ「歌を歌っていた」と話すと皆リスペクトしてくれて、最後なんて拳で挨拶し合って、心に手を当てて「Respect」ってお互い言い合って自分は国を出た。 音が生活の一部なこの国が大好きになった

今回の旅で少しでも世界をつなげられた気がする 自分のして来た事が間違っていなかったんだなと実感した     Give and Take 人に何かを与え、何かをもらう 人はみな同じように幸せになる為に生きているんだ         本当に大事な事に気づいている人かそうでないかは目を見ればすぐにわかる

自分が何をするべきなのか 今はより強く感じるようになった あの時感じた想いを胸に今日も一歩また前に進みたい

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 27th,Jan,2013 at Beach in Batakunku,Gambia

 

 

 

 


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